keroyonの『続・日々精進』日記

人生最後の悪あがき!?、懲りずに再度日々精進。あることないこと?晒してます。

「人望はお金では買えぬ」詩経から論語へ<論語#22><詩経#6>

こんばんは。keroyonです。

やっぱりパソ入力はいいですねー。スマホの1/3の時間でサクサク入力できるし、視野が広いから内容も深くなる気がします♬ 

週末は原点に返ります。「温故知新プロジェクト」。
詩経と論語をまとめて書くには、休みじゃないと難しくて。 

 

前回は「切磋琢磨」でしたが、今回は…。
特に有名な語句とかではないのですが、論語の中にこんな詩経の引用がありました。

 

論語 巻第八 李氏第十六 12 より

(孔子の曰く、誠に富を以ってせず、亦た祗(ただ)に異を以ってす)斉の景公、馬千駟(し)あり。死するの日、民徳として称すること無し。伯夷(はくい)・叔斉(しゅくせい)、首陽(しゅよう)に餓(う)う。民今に至るまでこれを称す。其れこれをこれ謂うか。

 

孔子がいわれた。「詩経には『まこと富には寄らず、ただ(富とは)異なるものによる』とある。斉の景公は四頭だての馬車千台を持っていたが、死んだときには、人民はだれもおかげを受けたとほめなかった。

伯夷と叔斉とは首陽山のふもとで飢え死にしたが、人民は今日までもほめている。(詩の言葉は)まあこういうことをいうのだろうね」

 

 この引用元の詩経はこちら。

我行其野(がこうきや)

 

野を行けば 茂る樗(ぬるで)や

契り来て 寄り居しものを

汝がわれにつれなき故に 今はわが家に帰らむ

 

野を行きて しのね采(と)るや

契り来て 寄り寝しものを

汝がわれにつれなき故に 今はいざ家に帰らむ

 

野を行きて 葍(いおすき)采(と)るや

わがふるきよしみ思わず 汝が新しき妻を求むる

まことその富めるもあらで なまなかにめずらしきとて*1

 

*1「まことその富めるにもあらで」原文「成不以富 亦祗(ただ)以異」の二句。(略)いろいろな説があるけれども、朱子が、夫が新しい女を求めるのは別に相手が富んでいるからというのではなく、ただ新しくて珍しい故だと解するのが一番わかりやすい。

 

そのほかの語句

葍(いおすき) :ひるがお
https://en.wiktionary.org/wiki/%E8%91%8D#Japanese

しのね:タデ科の多年草。
https://www.weblio.jp/content/%E3%81%97%E3%81%AE%E3%81%AD

樗(ぬるで):にわうるし。ニガキ科の落葉高木。
http://kanji.jitenon.jp/kanjif/2727.html

 

うーん。詩の方は、ただの浮気の歌では…と凡人keroyonは考えてしまいます(+_+)。

ところが、聖人の孔子さまはこの浮気でさえも、「相手が裕福だから金目当てで浮気するのではなく、物珍しいから」と解釈し、論語では、

富めること=人望を得られる ではない。
財産はなくても、人望を集めることができるのだ。

と、お教えになるのですねぇ。 

さすがでございます。 

詩経は、生々しい歌なので、男女の浮気とか、浮気されて悲しい妻の歌とか、そんなのもたくさんあるので、このテイストはふつうなのですが…。

解説の中にも、「この一文の解釈がさまざまある」とあるし、朱子が後付けでそう解釈したのかもしれません。

そもそも「成不以富 亦祗以異」の語句は、論語のこの部分には書いてなくて、巻第六 顔淵第十二の10の最後にくっついていたのを、巻第八に持ってきて、解釈しているところも強引だし。(+_+)。

 

 まぁ経緯はどうあれ、

「人望はお金では買えぬ」

 

これについては、疑う余地はないと思われます。
お金とあまりご縁がないkeroyonには、希望の言葉にも思えてくる!? 

伯夷叔斉の故事によると?「人望は行動による」ようなので、
引き続き、言行に気をつけて、日々精進したいと思います。

 

週末いいですねー。
今日もお付き合いありがとうございました。
明日も楽しい一日になりますように🍀🍀🍀

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※出展:訳 金谷治「論語」 岩波書店
    訳 目加田誠 「詩経・楚辞(中国古典文学大系15)」 平凡社

 

中国古典文学大系〈15巻〉詩経・楚辞 (1969年)

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論語 (ワイド版岩波文庫)

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