keroyonの『精進なんてやーめた』日記

精進はとうの昔に諦めた、忘れん坊の備忘録。あることないこと?晒してます。

映画「まっ白の闇」で感じたこと。変なカエルが率直に。

 こんばんは、keroyonです。

今日は一時間でも早くご紹介したく、ココへ来ています。

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注記:このエントリ内の「薬」は白い粉系の薬のことです。念のため。(190128)

たまたまどこかで知った映画「まっ白の闇」。
薬物依存症の弟が絶望の縁からはい上がるまでの、右往左往の話。

俳優の内谷正文が自身の薬物依存症の体験をベースに13年にわたり上演を続けている一人体験劇を自身の初監督作品として映画化。

公式HPより

依存症フリーク!?のkeroyonはどうしても見たくなり、時間と場所を調整し名古屋まで行ってきました…。そして、名古屋での上映は来週末(~2/1)まで、その後は大阪…と狙わないと見れない映画なのね。(カメ止めも初めはそうだった)

噂通り、ご自分と実の弟の実話を「映画化したい」という、監督の熱量がおおいに伝わってきました。
と、ここまでは冷静に。

 

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ここから下は、映画をみて心に残ったキーワードが並んでいるので、そこに肉付けしていく。

  • 薬やめますかそれとも人間やめますか
    主人公の峻に父親がこの言葉をかけた。このキャッチは当時から違和感。いろいろ追いつめられて依存症になった人に対し、この言葉を投げかけるのは最終通告に等しいとしか思えないのです。
    依存症に理解のある人でないとこんな気持ちにならないのかなぁ、と寂しくもあり、そうやって主人公を追い詰める父親と兄…そらはまるわ。

  • 薬を止めることの選択権は誰に?
    家族は「薬をしていることが悪」にフォーカスして峻を責める。が、薬に行きついてしまった本当の理由を解決しないことには…。「薬をやめさせること」が「峻のため」という家族にも違和感。峻は生きるのが辛くてそういう状況になっているのに、なおも苦しい中に生きさせようとするのか…。峻の人生は?そんな権利が家族にあるの?

    後に、依存症厚生施設「今日一日ハウス」のリーダー?岩谷さんが、峻の家族に「峻は自分で人生を選択できるようにならねばならぬ。生きるも死ぬも本人の選択。家族は彼を見捨ててください」と言うところで、腑に落ちた。そうだよな。

  • 薬依存症と言う病気、それは一生治らない病気、毎日一日、薬を使わずに生きる生きることの意味
    「今日一日ハウス」の岩谷さんが峻をハウスに来るよう誘うときが印象的だった。「俺も薬物をやっていた。もう20年もしていないが今でも目の前に置かれたら体に入れてしまうだろう。一生治らない病気なのだ。だから『今日一日だけ薬をしない』これを一日ずつ。一日一日積み上げていくんだ。仲間とな。」(うろ覚え)
    「一日一日を積み上げる。今を生きる」って、私が毎日…。

  • 今日一日ハウス
    厚生施設の名前。名前がいいなぁ、私の信条と同じ♡。
    本当に千葉県にあります。ここがモデルなのでしょうね。

    茨城ダルク 今日一日ハウス HOMEPAGE

  • 家族の共依存により依存症の悪化、また共依存も病気である
    岩谷さんが家族集会で、「本人は依存症、家族は『経依存』という病気にかかっている。『私がどうにかしないと彼が』というのは共依存。それは本人の病状を悪化させる」(うろ覚え)と説明していた。
    家族の中でも仕事上でも「私がいないと」って思いたいところあるし、そう思えないとここにいていいのかな?と思ってしまう時がある。これもそうなの?
    相手が弱ってるときに「自分の出番だ」と思ってしまう心と同じなのかな。そういう時は「大丈夫?」と心を配るべきなのかな。←SST*1モードです…(^-^;。

  • 「依存症の家族が1番辛い」と言うセリフの違和感
    家族集会のグループワークで出た発言の一つ。「家族はこんなにつらい思いをしているのに、本人は症状がでていて記憶にないようなんですよね。依存症の家族が一番つらいんです」と当事者の親がいっていた(峻の家族ではない)。本人が一番つらくてそうなってしまったことにまだ気づいていないの?家族もつらいと思うけど、本人が一番つらいに決まってるじゃん…。

  • 峻(主人公:弟)が依存症になったことで家族が1つになると言うのはどういうことか
    そういう意味では言ってないことはわかってる。わかってはいるんだけど、ナナメに聞こえた。腹黒いから…。施設に入ることで峻が落ち着いてきて、一番理解がなかった父親も峻のことを認めるようになり、家族が一つになれたことに感謝している峻の母の言葉なんだけど、それは結果論…。

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メモ書き終了です。

峻役の百瀬朔の、依存症の演技はド迫力。映画終盤の施設を出た後の顔も真に戻ってないような印象だけど、あれは「薬物依存は一生抱えて生きる」ことの象徴だったのかな。

 

なにより私が感じたのは、

薬物はダメだが、体験は尊いということ。

経験することはよいことだから、依存症になれということではない。
それはぜったい違う。

一時の何かの悪縁でそういうことになってしまったが、そこから這い上がる経験は、唯一無二だということ。それは依存症だけでなく、病気・事件他、ネガティブに押しつぶされそうな環境での経験にも当てはめることができると。そこから何か、一粒のコメレベルの小ささかもしれないが、何かをつかむことができたら。

挫けそうな環境にあっても、小さなことでも何か一つ経験を積めたら。
そういう思いで一日一日「こと」をこなしたい。

そう思えた映画でした。機会があればぜひ。

keroyon

 

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*1:Social skill training 「社会生活技能訓練」